B 水俣病の原因究明(初期の研究年譜)

熊本大学
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社会
確認された患者累計数
昭和26年
(1951)
    ・アセトアルデヒド合成の助触媒を二酸化マンガンから硫酸鉄(粗製)に変更   ・水俣湾で魚介類の死亡、変形などが目立つようになる  
昭和28年
(1953)
    ・アセトアルデヒド生成に真空蒸発真空蒸留法採用   ・公式に発見された最初の患者の発病はこの頃  
昭和31年
(1956)
・医学部水俣奇病研究班を組織(8月)
・「学用患者」(原因究明に協力してもらう代わりに医療費の負担を求めない制度)を初めて適用(8月30日)
・第1回報告会(11月)
「奇病」は魚介類を介したある種の重金属中毒で、伝染することはないと発表。
中枢神経系の傷害が主な症状と指摘
  ・新プラント完成するも事故相次ぐ(廃液の異常な増加)
・付属病院院長(細川医師)、原因不明の疾患が発生と水俣保健所へ報告

 

・水俣病公式発見(5月1日)
・11月厚生省厚生科学研究班(厚生科学班と表記)設置
・奇病対策委、52人を公式に水俣(奇)病と」指定  

・ネコの発病に加え水俣湾の付着貝類、海草類の死滅、魚の浮上など甚大な被害相次ぐ(S29〜S34) 52人
昭和32年
(1957)
・第2回報告会(2月)
水俣湾内の漁獲禁止措置が必要と結論
  

・患者の生活状況、および臨床症状の調査(細川医師他数名)
・水俣奇病の研究組織発足(5月)
・付属病院内でネコ実験開始(5月)

 

 

 

・排水、海水、低湿、魚介類等の汚染調査(主にマンガン)

 

・汚泥からタリウム・セレンを検出(12月、熊大研究班からの照会への回答)

・厚生科学班第1回報告会(1月、重金属中毒の触媒は魚介類とするも、そのメカニズムについては不明)(報告書は3月)
・百間港浚渫(熊本県)
・伊藤水俣保健所長
ネコに水俣湾の魚介を投与、10日後に発症(4月)

・厚生科学班第4回報告会(7月)
工場廃液の関与を疑う
・ネコ飼育実験の結果等から、水俣湾の魚介類を原因と推定 中毒物質については保留(熊本県衛生部)
・熊本県衛生部
食品衛生法適用による水俣湾産魚介類販売禁止の可否を厚生省に打診(8月)

    ↓
・厚生省、熊本県に対し食品衛生法適用はできないと回答(9月)・・・これは漁獲禁止をしないことを意味する
・厚生科学班松田班長の学会報告(10月)
中毒原因の候補には、マンガン、銅、セレン、タリウム等の塩類があったが、いずれも原因物質としての充分な根拠が得られなかった。このときまで水銀は注目されていない。(報告書は12月)
・マガキの斃死確認(熊本県水産試験場) 64人
昭和33年
(1958)
・セレンが最も疑わしいとの説(第28回衛生学会)
・宮川教授、タリウム説発表(精神神経学会)
・武内教授、新日窒との懇談会でセレン・タリウム・マンガンを原因と断定することは困難と発言(7月)
・MacAlpine博士、学術誌に有機水銀中毒の可能性を示唆(9月、荒木博士と共著) ・細川医師、脳性小児麻痺様の子供5人を診察(のちに胎児性水俣病とわかる)
・酢酸設備、連続母液酸化装置完成により生産急増
・「水俣奇病に対する当社の見解」発表(7月)
厚生省に対し原因物質特定までは工場排水を疑うべきではないと主張
・アセトアルデヒド排水経路を百間港から八幡プール経由で水俣川河口へ変更(9月)
・厚生科学班報告会にて水俣工場の汚泥分析結果が検討される(2月)
水俣工場が原因物質を生産と確認し、実験的再現を今後の課題とする
・〔水俣病〕という言葉がマスコミに定着
・アサリ、カキ等の斃死、底生生物幼生プランクトンが百間港にいないことを報告(10月、熊本県水産試験場)
68人
昭和34年
(1959)
・報告第3報(3月)
脳性麻痺様幼児多発と指摘(喜田村教授)
・研究班報告会(7月)
「魚介類を汚染した毒物として水銀がきわめて注目される」と結論
(武内、徳臣、有機水銀説を展開)
・入鹿山教授、酢酸設備から水銀スラッジ採取(8月)
・東工大 清浦教授
有機水銀説に慎重論(8月)
・日本化学工業協会(日化協)大島理事、有機水銀説に疑問を呈し爆薬説を提唱(9月)
・細川医師、アセトアルデヒド・酢酸製造工程廃液を用いたネコ400号実験開始(7月)
熊本県議会へ有機水銀説の反論書提出(8月)魚介類からアルキル水銀を抽出できないことを根拠に有機水銀説に異議、工程内で有機水銀が生成するという事実も文献記載もないと主張
ネコ400号(廃液を混ぜた餌を直接投与)発症(10月)
・水俣川河口への排水を中止、百間港排水路へ戻す
・「水俣病原因物質としての’有機水銀説’に対する見解」という反論文を国会調査団へ渡す(11月)
・会社から細川医師に対しネコ実験中止を指示(11月)。廃液を混ぜた餌の直接投与による新たなネコ発症実験を中止
・廃水処理装置(サイクレータ−)完成(12月)(メチル水銀除去には効果がなかった)
・厚生省食品衛生調査会合同委員会(10月)水俣食中毒特別部会有機水銀中毒説を報告
・通産省、新日窒へ水俣川河口排水路の廃止と廃水処理装置の年内完成を指示(10月)
・国会調査団水俣を視察(11月)
・食品衛生調査会常任委員会(11月)
有機水銀化合物を主因とし水俣湾産魚介類の大量摂取で起こる主として中枢神経の傷害される中毒性疾患との見解発表後水俣食中毒特別部会を解散
・水俣病患者診査協議会(12月、厚生省公衆衛生局)
・八幡(水俣川河口)の住民に初めて患者が発生(3月)、その後発症相次ぐ
・芦北郡湯浦町でネコ多数発病
・2月以降獅子島でネコ発症(1ヶ月に18匹)
・出水で患者発生、発生地域の南への拡大開始(6月)
・出水で乾燥貝類投与ネコ発症(9月)

・漁民騒動(2,000人が集結、国会調査団へ陳情後工場へ突入)負傷者100人以上
見舞金契約(12月)
68人
昭和35年
(1960)
・喜田村教授、毛髪水銀の有用性に気付き、患者らの毛髪を調査(2月)
・第57回精神神経学会(4月)有機水銀説及びタリウム説を発表、討論有機水銀説に支持が集まる
・宮川教授死去(9月)、タリウム説自然消滅
・内田教授、水俣湾のアサリから含硫有機水銀化合物の結晶化に成功(9月)
・Kurland博士(米国国立衛生研究所)、有機水銀説を支持(2月)また、サイクレーターが有害物質除去に役立たないと語る
・日化協田宮委員会発足(4月)
・連絡協議会第2回会合(4月)清浦教授有毒アミン説発表
細川医師、廃液を混ぜた餌の直接投与によるネコ発症実験を再開(8月) ・水俣病総合調査研究連絡協議会設置
2月に第1回会合
・熊本県衛生研究所、八代海沿岸住民の毛髪水銀調査開始(2月)
・鹿児島県、出水、米ノ津、東町(長島)等の住民の毛髪水銀調査開始(5月)
  87人
昭和36年
(1961)
・原田義孝教授、小児科学会で九州地方会にて胎児生水俣病の実体を初めて紹介(6月)
・入鹿山教授ら、魚介の水銀は有機水銀の形で取り込まれると、KumamotoMedical、Journal誌に発表(10月)
・内田教授 硫化メチル水銀結晶化について学会発表(11月)
・清浦教授、腐敗アミン説(6月、東邦医会誌) ・排水中からアルキル水銀化合物(有機水銀)を確認(7月)
・廃液からメチル水銀を抽出、結晶化(12月)
    87人
昭和37年
(1962)
入鹿山教授ら、触媒滓から塩化メチル水銀抽出に成功(8月)          
昭和40年
(1966)
        新潟で水俣病患者発見、新潟県の正式発表は6月 新潟26人
昭和42年
(1967)
      ・厚生省、新潟水俣病の原因を昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物の食物連鎖による汚染と結論(8月)   新潟27人
昭和43年
(1968)
    ・アセトアルデヒド製造工程稼働停止 ・政府統一見解(9月)
チッソ水俣工場のアセトアルデヒド・酢酸製造行程中で副生したメチル水銀化合物が原因
  新潟35人

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